日本酒を醸すのに必要な清酒酵母の存在が確認されたのは明治時代になってからのこと。それまでは、どの酒蔵でも自分の蔵の中に棲みついている酵母を利用して酒造りを行っていました。

1906年に醸造協会(日本醸造協会の前身)が設立されると、優良な蔵付き酵母を採取・分離をして純粋培養を行い、清酒酵母として全国各地の酒蔵に頒布するようになります。

この清酒酵母は「きょうかい酵母」と呼ばれ、さまざまな種類があります。

そのひとつ、「きょうかい10号酵母」となったのが「小川酵母」です。分離者は、小川知可良(おがわ・ちから)博士。仙台国税局鑑定官室長在任中に東北の酒蔵から数百種の醪(もろみ)を収集し、退官後に入社した茨城県の明利酒類(めいりしゅるい)で、この酵母の純粋分離と培養を行いました。その由来から、「明利小川酵母」や「明利酵母」とも呼ばれています。

この記事では、この「小川酵母」が生み出す味わいに惚れ込んだ、茨城県・浦里酒造店(うらざとしゅぞうてん)の酒造りに迫ります。

「知可良」という名に導かれた酒造りの道

浦里酒造店

茨城県つくば市の北西部、街の中心部から車で20分ほど走った田園地帯に浦里酒造店はあります。1877年に茨城県結城市にある結城酒造から分家し創業。筑波の街の成長と合わせて、蔵も大きくなっていきました。

5代目の浦里浩司さんが「小川酵母」の魅力に惚れ込み、この酵母を使った酒造りを本格的にスタート。そうして1986年に発売されたブランドが「霧筑波(きりつくば)」です。「霧筑波」の目指すところは、地元に愛される酒。製造量の約9割が茨城県内で飲まれている銘柄です。

浦里酒造店のもうひとつのブランドが、「小川酵母を極める酒造り」をテーマにした「浦里」です。こちらは6代目の浦里知可良さんが立ち上げたブランドで、発売1周年を迎えたばかり。「霧筑波」が地元の酒とすれば、「浦里」は茨城県外へ発信する酒。「霧筑波」が引き算の酒とすると、「浦里」は足し算の酒なのだそう。

浦里酒造店 6代目の浦里知可良さん

浦里酒造店 6代目の浦里知可良さん

知可良さんの名前は、「小川酵母」の分離者である小川知可良博士にちなんで名付けられました。

「最初は変わった名前だなと思っていましたが、そのルーツを知り、今では『知可良』という名前が人生の道しるべです。小川酵母を極めることが自分の使命だと感じています」と、知可良さん。

幼い頃から、酒蔵を継ぐことを意識していた知可良さんは、東京農業大学醸造科学科在学中から「小川酵母一本で酒を造りたい」と考えていました。大学卒業後は、山形県の出羽桜酒造で酒造りの基礎を学びます。

「普通の蔵仕事は、蒸米なら蒸米だけ、製麹なら製麹だけと担当が決まっているのですが、出羽桜さんではいろいろな作業を担当させていただきました」

次に働いたのが、「旭興」を醸す栃木県の渡邉酒造です。出羽桜酒造も渡邉酒造も、南部杜氏の系譜を持つ酒蔵です。

「出羽桜さんは大きい蔵ですので、次は実家の蔵と同じくらいの規模の蔵で経験を積みたいと考えました。渡邉酒造では一造りだけの経験でしたが、酒造りの応用を学ぶことができました。今の酒造りのベースとなっているのは渡邉酒造さんで学んだことが大きいです」

実家に戻る直前には広島県の酒類総合研究所に入所し、これまでに習得した酒造りの技術の理論的な裏付けや生酛造りを学びます。

そうして、蔵に戻った知可良さんは、引退直前だった南部杜氏・佐々木圭八さんの引退を1年間引き止め、一緒に酒造りを行うことで、これまで地元に愛されてきた「霧筑波」の味わいを引き継ぎました。

酒造りのこだわりは「小川酵母」と「氷点下熟成」

浦里酒造店の酒造りの特徴を知可良さんに尋ねると、「小川酵母」と「氷点下熟成」の2つを挙げてくれました。

「オール茨城産の酒を造ろうと考えると、同じ茨城にある明利酒類さんで分離された小川酵母は欠かせません。その小川酵母で醸すお酒の割合では弊社が日本一だと思います。鑑評会用に仕込む1本以外は原則、小川酵母で醸していますから。

小川酵母の特徴は、酸が少なく、香りがおだやかな点です。全国新酒鑑評会で『YK35(山田錦・きょうかい9号酵母・精米歩合35%)』の全盛期も、私たちの蔵ではずっと小川酵母で酒を造り続けてきました」

茨城県には種麹を製造販売する日本醸造工業もあり、酒米、水、麹、酵母と、すべてオール茨城産の原材料を揃えることができます。

浦里酒造店の冷蔵蔵

空調設備が整った浦里酒造店の冷蔵の蔵

氷点下熟成に関しては、マイナス5℃の環境下で貯蔵できる蔵を1995年に新設しました。当時としては斬新だったためか、各地の蔵元が見学に来たそうです。

「氷点下でゆっくり熟成させることで酒にまるみができ、非常においしくなるんです。熟成させているのは、純米大吟醸と大吟醸の古酒が多いですね。一番古いもので、38年間ずっとマイナス5℃で熟成中の大吟醸があります。

アルコール添加をした吟醸酒は、搾りたてほどアルコールが馴染んでいない印象を受けることが多いのですが、氷点下でゆっくり寝かせることで一体化していきます。米由来の成分だけでは足りないところに、アルコールがうまくハマってくれるようなイメージです」

浦里酒造店の冷蔵コンテナ

浦里酒造店の冷蔵コンテナ

知可良さんは、氷点下熟成によるヴィンテージ酒に大きな可能性を感じています。

「長い年月を経た熟成酒は蔵のかけがえのない資産。この価値を評価してくれる人が増え、ヴィンテージ酒の市場がもっと広まるとよいと思っています。うちの酒を世界で販売するとしたら、それはヴィンテージ酒かもしれません」

南部杜氏の伝統をつなぐために

全国新酒鑑評会の賞状

浦里酒造店に戻って1年目の造りから「令和元年度 茨城県清酒鑑評会」純米吟醸の部で、首席となる県知事賞を受賞。

それを皮切りに、「全国新酒鑑評会 金賞」、「第91回 関東信越国税局酒類鑑評会」吟醸酒・純米吟醸の部 優秀賞、「令和元酒造年度 南部杜氏自醸清酒鑑評会」吟醸酒・純米酒の部 優等賞と、素晴らしい活躍を見せています。

蔵に戻って3年目、杜氏就任2年目となる2020年の造りでは、「令和2酒造年度 第102回 南部杜氏自醸清酒鑑評会」吟醸酒の部で首席を獲得。そして「令和2酒造年度 全国新酒鑑評会」にて、小川酵母で醸した純米大吟醸「霧筑波」が金賞を受賞しました。

全国新酒鑑評会の数ある出品酒のなかでも、小川酵母を使った純米大吟醸は鑑評会のトレンドとは真逆の酒質になるため、まず出品されないそうです。

「南部杜氏自醸清酒鑑評会の首席は、南部杜氏であれば一生に一度は取りたいと願う栄誉です。特に茨城県からは初めての受賞で、記録が残っている中では最年少ということもあり、大変うれしく思います」

南部杜氏自醸清酒鑑評会の審査の方法は、1審、2審、結審の3段階で行われ、南部杜氏の約120蔵が2~3本ずつ出品します。1審で入賞酒が決まり、2審で上位10本が、最後の結審で、上位10本をあらためて審査し首席が選ばれます。

「南部杜氏自醸清酒鑑評会には、上位を狙って、あえて小川酵母を変異させたM310酵母を使いました。もちろん、こちらも明利酒類さんの酵母です。カプロン酸エチル系の香りが出る酵母ですが、華やかな香りと甘み、そこにキレが両立できたことがよかったのかと思います」

南部杜氏自醸清酒鑑評会の表彰カップ

「第100回 南部杜氏自醸清酒鑑評会」の首席は、知可良さんが修行を積んだ渡邉酒造の渡邉英憲杜氏でした。それに続いて首席となることができ、結果で恩返しができたことになります。

「首席の表彰カップは100回記念でリニューアルし、第101回はコロナの影響で順位付けがなかったため、まだ渡邉酒造と浦里酒造店の名前が書かれたリボンしか結ばれてないんですよ。まさに師弟コンビのカップとなりました!」

「茨城酒のおいしさをもっと知ってほしい」

浦里酒造店 6代目の浦里知可良さん

「私と同じ若い世代に日本酒を飲んでもらいたいですね」と、これからの展望を話す知可良さん。

「今の日本酒は飲みやすいものが増えていて、歴史上、日本酒が一番おいしい時代じゃないかと思っています。和食だけでなく、さまざまな料理に合うことをもっと伝えていきたいです」

オール茨城産にこだわる酒蔵だけあって、地元への愛も忘れてはいません。

「茨城が銘醸県ということを、みなさんに知っていただきたいんです。全国新酒鑑評会での受賞率の高さに加えて、『来福』さんや『結ゆい』さんのようにスター蔵があるものの、どうにも県として伸びきれない。そこで自分が積極的に出ていくことで茨城県全体の評価が高まるようになったらうれしいです。

そのためにも、鑑評会で入賞を積極的に狙っていくことや、メディアの取材を受けたり、SNSで情報を発信したりすることをがんばりたいと思っています。茨城産の原材料で造った『オール茨城酒』を茨城県内の蔵同士で連携して造ったり、コロナ禍が落ち着いたら茨城酒のイベントも積極的に行いたいですね」

浦里酒造店の造る日本酒

若き6代目の杜氏が先頭に立ち、小川酵母にこだわった酒造りで快進撃を続ける浦里酒造店。茨城県外に出荷が増えるのは来年以降の予定ですが、筑波を訪れたときには「霧筑波」を、県外では「浦里」をぜひ味わってみてください。

(取材・文:鈴木将之/編集:SAKETIMES)

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