「68歳になりましたが、今の社長に出会って、新しい人生を見つけたような気持ちですよ」

リニューアルされた商品を背景に、荻野久男杜氏は笑顔を見せてくれました。それは、希望に満ち溢れた、銀盤酒造の新しいスタートを印象づける瞬間でもあります。

富山県黒部市にある銀盤酒造は創業明治43年。100年以上の歴史をもつ蔵ですが、近年は日本酒消費量が落ち込んでいた影響を受けて、普通酒の出荷量が減少。売上高はピーク時の6割ほどに縮小していました。

そこで彼らが選んだ道は「事業譲渡」。2016年6月、兵庫県神戸市にある阪神酒販株式会社の傘下に入り、同社取締役の田中文悟さんが社長に就任。再起を図ることになったのです。

SAKETIMESは、事業譲渡からおよそ半年経った2016年12月に現地を訪れ、当時の状況を取材しました。さらに半年が過ぎた今、銀盤酒造にはどのような変化が起きたのでしょうか。

前後編でお伝えする、新生・銀盤酒造の現在。前編となる今回は、事業譲渡後初めての酒造りを終えたばかりの荻野杜氏と、営業部で部長を務める大作導雄さんとともに、この1年間を振り返ります。

目指したのは全国新酒鑑評会の金賞...その挑戦から得たもの

「レギュラー商品の酒造りは今まで通りでしたが、鑑評会向けの商品にはやっぱりプレッシャーがありました」

就任早々、田中社長が掲げた目標は「全国新酒鑑評会で金賞を獲ること」。しかし、平成28醸造年度の鑑評会では賞を逃してしまいました。ただ、当時のことを語る荻野杜氏の声には、前向きな明るさが感じられます。

「機械のメンテナンスが不十分で何度かトラブルが起きてしまい、手探りするような部分もありました。今はもうメンテナンスが済んでいるので、次の酒造りはもっと上手くできると思いますね」

特に苦戦したのは、銀盤酒造の看板商品である、精米歩合35%の「超特撰 米の芯」。荻野杜氏は「前杜氏から、造りの技術を盗みきれていなかった」と悔やみます。田中社長が就任してからは、そうした"悔しさ"や"困りごと"をお互いに伝え合い、より良い酒を造るための意見を交わし合えるようになったのだとか。

「実は普通酒を仕込んでいるときに、麹の状態が思わしくなかったので、杜氏として『品質のために造らない方がいい』と感じたことがありました。普通酒の仕込みをタンク3本分減らしたいと伝えると、田中社長は『わかった』と計画を変えたんです。

コストだけを見て、もどかしさを抱えたまま手を動かすのではなく、"良い酒を造るための判断"ができるようになりました。今年はさらに腰を据えて、より良い酒を造っていきたいですね」

加賀の井酒造の杜氏に、心を打たれる

機械類のメンテナンスに取り組めなかったのは、資金面の理由からでした。しかし、田中社長が整備の決断をしたことで、荻野杜氏も覚悟を決めたのだそう。

「高額な資金を投じてもらったのに酒で応えられなければ杜氏失格。さらに、後継者も育てていかなければならないと思うようになりました。米を見て、"これは軟らかいから水を少なめに"、"あれは硬いから吸水を長くする"などの細かい調整をするには経験が必要。これまでは杜氏の後継者について話すことはありませんでしたが、その雰囲気も変えていかなければなりません」

荻野杜氏の心に火をつける出来事が、もうひとつありました。昨年12月に起きた火災で酒蔵が全焼した、新潟県糸魚川市の「加賀の井酒造」が銀盤酒造の設備を借りて酒造りを行ったのです。

そこで目にしたのは、加賀の井酒造の杜氏がまるで醪と会話をするかのように、その状貌とじっくり向き合う姿。荻野杜氏は強く感銘を受けました。

「スタートがあっても、ゴールはないのが酒造り。そこに妥協はありません。『これでいいだろう』という気持ちは酒に出てしまいます。楽をしたら、楽をしたような酒になる。醪と対話して、良い酒を造りたいと思うようになりました」

今後取り組んでみたいことを尋ねると「はじめは少ない量でかまわないので、新しい酵母で美味い酒を造りたいですね」と意欲的な返答。その声には、第二の人生を新生・銀盤酒造と歩んでいくんだという頼もしさがありました。

商品への向き合い方が変わった営業部

酒造りの現場だけでなく、営業部にも明るい兆しが見えています。

部長を務める大作導雄さんは「ホップ・ステップ・ジャンプで例えると、11月がステップで、今はジャンプの時期。各種メディアを通して、新しい銀盤酒蔵を知らせようとしている段階です。お客さまからも"今までの銀盤とは違うぞ"という期待を寄せていただいてるのを感じていますね」と話していました。

銀盤酒造が変わったことは商品のラインアップからも一目瞭然。製造部や営業部が「多すぎる」と感じていたラインアップは、売上の少ないものを廃盤にするなどして3分の1にまでスリム化しました。

さらに"新生銀盤の挑戦にかけた第一歩"として、2016年12月に「しぼりたて無濾過生原酒シリーズ」を発売。その後も「純米大吟醸ひやおろし」などの限定商品を市場へ送り出します。

「これまではトップダウンで降りてきたものを売るだけでしたが、田中社長が来てからは『製造も営業もそれぞれが責任を持って考えよう』という体制。自分たちの責任で意見を言えるようになったことで、商品に対する向き合い方も変わりました。お客さまの声に応えるものを造っていかなければと思っています」と、大作さんは力強く話します。

銀盤は"日常に寄り添う酒"

大作さんは、改めて"地元のニーズ"にもしっかり応えていきたいと考えているのだそう。特定名称酒だけではなく、家庭で飲まれるような普通酒の市場も大切にしています。それがひいては、銀盤酒造のブランド向上につながると見ているからです。

「銀盤を"日常に寄り添う酒"として大事にしたいですね。毎晩の食卓で飲まれるようになれば、若い人や女性のお客さまにとっても安心感のある酒になるでしょう。その安心感が、特定名称酒の売上にもきっとつながっていくはずです。従来のような価格による訴求でシェアを勝ち取るのではなく、"誰もが知っていて、安心して飲める酒"としてのブランドを確立できればと思っています」

大作さんが大切にしているのは、"愛着"や"安心"。それに応える酒であれば、競合がいるなかでも、銀盤酒造のポジションを確立することができると見込んでいるのです。

「とは言っても、特定名称酒はまだ全体の2割未満なので、4割くらいにまで育てていきたいと思っています。普通酒は富山県内でもっと飲んでもらえるように、飲食店でも使えるようなブランドとして確立したい。その頃には、首都圏でも銀盤酒造のブランドをアピールしていきたいですね」

この挑戦は、田中社長が就任したことで新しいつながりが生まれ、販路の拡大がしやすくなったことが背景にあるのだそう。酒問屋や小売店だけでなく、飲食店や百貨店にもアプローチできるようになり、営業先が増えました。

たとえば、銀盤酒造と同じ阪神酒販グループに属し、全国展開している焼き鳥チェーン「とり鉄」で「銀盤 純米大吟醸 播州50」がメニューに載ったことも、新たな一歩と言えるでしょう。

「『超特選 米の芯』を1本1万円のプレミアム商品として売り出したところ、都市圏のデパートで良い評判をいただきました。新しい銀盤酒造を見せるためにも、新しい取り組みを継続的に仕掛けていきたいですね」

銀盤酒造を変えたい、何とかしたい

荻野杜氏、大作さんと続けてお話をうかがうなかで、半年前に訪れた時とは雰囲気がまったく異なることを感じていました。口ぶりは明るく軽やかで、みずからのアイデアや意思を仕事に反映させながら着実に前進をしているという"自信"に満ちているように見えます。

以前はオフィス全体に閉塞感がありましたが、今では職場の風通しも良くなりました。社員はおそろいのユニフォームに身を包み、時に談笑しながら仕事に励んでいます。その表情は明るく軽やかで、一皮むけたようでした。

「これまでのように、指示を待っているのとはちがう。私も含めて、"銀盤酒造を変えたい、何とかしたい"という思いのあった人たちが、実際に行動できるようになってきました。責任を持って、自分で考えて判断していくのは、たいへんですが楽しいんです」と、大作さん。

銀盤酒造の正面窓口にあるシャッターは、きれいなグレーに塗り替えられていました。それを目にした地元の人々からは「都会的になったね」と冗談まじりに声をかけられることもあるそう。社屋1階には小売店を置き、地元の女性がスタッフとして、訪れた人をもてなします。

機械や建物をメンテナンスし、働く人々の意識を変え、商品のリニューアルによって新たな銀盤酒造の姿を伝えていく。創業100年を越えて鈍くなっていた歯車が轟々と音を立てて回りだしたかのように、銀盤酒造は前進し始めました。

事業譲渡から1年。"わずか"1年というべきかもしれません。この短い期間で田中社長はいかにして銀盤酒造を変えていったのか。その胸の内を後編で、じっくりとうかがっていきます。

(聞き手/生駒龍史、文/長谷川賢人)

sponsored by 銀盤酒造株式会社

[次の記事はこちら]

連載記事一覧