創業明治43年、富山県黒部市にある銀盤酒造は、折からの日本酒不振と普通酒の出荷量減の影響を受け、売上高はピーク時の6割ほどに縮小。彼らは「事業譲渡」の道を選び、2016年6月に兵庫県神戸市の阪神酒販株式会社の傘下に入ります。同社取締役で「株式会社田中文悟商店」を率いる田中文悟さんが社長に就任し、再起を図ることになりました。

SAKETIMESでは事業譲渡からおよそ半年経った2016年12月に、現地を訪れて当時の状況を社員の方にお聞きしました(第1回第2回)。そして、さらに半年が過ぎた今、銀盤酒造は着実な変化を遂げているようです。

青空をバックにした銀盤酒造の引き画。無骨な工場感がまるでダンジョンのようにそびえ立っている。

僕らは再び銀盤酒造を訪れてお話を伺いました。前編では事業譲渡後に初めての酒造りを終えたばかりの荻野久男杜氏、営業部長の大作導雄さんと1年間を振り返りました。そして後編では、この復活劇の立役者こと田中文悟社長へのインタビューを行いました。

秋田県横手市の阿櫻酒造、静岡県富士宮市の富士高砂酒造といった酒蔵を再生へ導いてきた田中社長。そのチームビルディングの手腕に触れるのにはじまり、銀盤酒造で叶えたいビジョン、そして日本酒業界の未来像にまで話は及びました。

たとえ「違う」と思っても、話は最後まで聞くと決めている

インタビューに答える銀盤酒造・田中社長。

― 銀盤酒造ではどのような一日を過ごされていますか。

基本的には打ち合わせや営業討論といった「話す」ことに注力しています。最近は商品の改廃があったので、実際に商品群を目にして意見を出したり。日中は会社内を一通りまわって全員と話をして、夜はだいたい得意先か社員と飲みに行っています。むしろ、予定は夜から決まっていくことが多いですね。

― 社員の方からも「田中社長と話せることが嬉しい」という声を伺いました。チームとしての活力もより満ちているようですが、田中社長としては予想通りの印象でしょうか。

順調というよりは予想以上の感触です。傾いた会社を再建するときには、やはり相手の話を聞くことが必要なんですね。僕から頭ごなしに言ったところで絶対に良くはならない。社員のみんなが自分で考え出すためにも、まずは話を一通り聞いたうえで、僕からもやり方を提案していきます。どれほど彼らが言っている内容が「違う」と思っても、最後までは1回は聞くと心に決めているんです。そうしないと、社員は意見を出さなくなってしまう。

― 話を聞く以外に、すぐ着手されたことはありましたか?

辞められた方には積極的に会いましたね。僕の経験上、キーパーソンであるほど先に辞めていってしまうんです。なかには社員から「絶対に戻ってきてほしい」と名前が挙がる人もいました。事業譲渡で体制が変わったことは元社員もわかっているし、本人たちが戻りたいという要望も耳にしたので、転職先の会社にも伺って説得をしてきました。

― 優秀な社員に戻ってきてもらう以外に、実は「辞めた理由」を聞くのも裏にあるテーマなのではと思いますが。

ええ、それも大事ですね。もっとも待遇面の場合はどうしようもないですけれど…。今回はその限りではありませんでしたので助かりました。

それから元社員などから話を聞くうちに見えてきたのは、銀盤酒造はブランドとして名前も通っていて、地元の売上もそこそこ多いけれど、酒蔵のある近所の方々が「銀盤酒造の社員」を実はあまり知らないということでした。僕としては、これは逆に「ファンになってもらえるチャンスだ」と捉えました。

着任して2カ月くらい経ったとき、地元の皆さんが季節ごとに側溝の掃除をしているという話を耳にして、僕も参加しました。すると「まさかの銀盤酒造の社長が掃除に来た」と話題になり、そこへ「米の芯」を持っていったものだから大いに盛り上がったわけです(笑)。

この1年間はそうやって対外的にも変革をアピールをしてきて、社員も少しずつ「組織とは何たるか」「新生銀盤が何たるか」をわかってきてくれたように感じています。

机に並べられた銀盤酒造の商品ラインナップ。

― ただ、5月末の鑑評会での金賞という目標は逃してしまいました。その結果をどのように捉えていますか?

正直なところを言えば、金賞を獲るのは難しいだろうと思っていたんです。むしろ、大事なのは「獲れずに申し訳ない」という気持ちになってもらうこと。今までは「金賞を獲る」という目標を掲げたとしても具体的に行動していたわけではなかったし、選考結果を受けても感情の動かなかった社員たちが悔しさを抱くことに価値がある。

そもそも僕が入社したのは6月でしたから、すでに出品する酒の米も精米方法は決まっていて、変えようがありません。だからこそ、やはり「今年こそ」という思いがあります。今は組織としてはようやくゼロに戻ったところ。大事なのはこの次のステップであり、いよいよ成長を志す段階に入っていくところです。

― 成長、ですか。

もともとの銀盤酒造は長年にわたってトップダウンの体制だったことで、社員も疲弊しているようでした。でも、実はトップダウンでやれているほうが仕事は楽なんですよ。自分たちが責任を負わずに済むわけですから。ただ、面談すると社員はトップダウンの体勢を変えたいと言う。それならば「自ら考え、責任を持って仕事に当たる」という大変な道を取らなければいけないぞ、ということは僕も率先して伝えてきました。

その言葉の重みをしっかり伝えたうえで、「責任は全て僕が取るから」とは言っています。あとは難しく考えすぎずに面白おかしくやろうということ、それから簡素化についてもよく話題にします。結局、深く考えて出たゴールと、直感でやったゴールって、そんなに変わらないだろうと僕は思っているんです。

酒蔵の「最善の一手」は存在しないが「最悪の兆候」はあり得る

― 田中社長は「気付かせること」をすごく大事にされていると思います。それによって社員が目に見えて変わったようなこともありますか?

「(会社や仕事の)ここが駄目だ」と自分から発言できるようになってきました。僕が事例を伝えたり、他の酒蔵を見学に行ったりすることで、「何が良くて、何が悪いか」という基準そのものが出来てきたのでしょう。

酒蔵はそれぞれで製造方法や土地の特性、販路も異なるからこそ「必ず良くなる一手」は言い当てられません。けれど「必ず悪くなる兆候」は全ての酒蔵に言える。僕がこの1年言い続けてきたのは、後者のことです。それが浸透してきて、社員も「悪くなる理由がわかったからこそ、どうすれば良くなるか」を考え出すことができつつあるのが現在かなと。

― 実務的な面では、言うなれば「泥臭くやる」という苦労が伺えますが、社員と衝突するようなこともあったのではないですか。

ガンジーの生まれ変わりと言われているくらいの僕が(笑)、1回だけ怒ったことがありますね。入社して1カ月ほど経った頃でしたが、どうも社員の「本気さ」を感じなかったんですよ。朝礼で集まった社員に「勤続30年の方もここにはいます。でも、たぶん僕はすでに銀盤がみんなよりも好きです。僕より銀盤が好きだと思う人は手を上げてください」と言ったら誰も手を上げない。

「そこが駄目なんだ!もっと好きになりましょうよ!本気にならないんだったら、もうやめます」と声を荒げました。僕も話しながら涙が出てきたんですが、そこからまた社員たちの表情も変わった気がしましたね。

― その熱意に応えるかたちで、社員の心にも火がついた瞬間かもしれません。

声を大きくしてしまったのは、僕も「再建するのであれば本気でやろう」と答えるところからスタートしていますから。その「本気」についても、僕らは「酒蔵」を将来にわたって残していく志を持っているホールディングカンパニーだと自負しているからです。

ほかにもホールディングで酒蔵運営をしている企業は4社ほどしかないですが、他社は外食チェーンが親会社だったりする関係で、酒蔵を「日本酒をつくる工場」のように見ている節を感じることもあります。これも銀盤酒造で真っ先に変えたことですが、それまで杜氏は「工場長」で、みんなも「工場」と呼んでいた。それを「杜氏」と「酒蔵」に改めました。

手を顎に添えながらインタビューに答える田中社長。

― 銀盤酒造が先進的に取り入れた機械醸造をはじめ、「工場」は効率的かつ近代化でもある。その一方で「酒蔵が持つもともとの価値」を見つめるほどに、家族感や手仕込みといった価値に戻っていく。その背反が起きているのを再統合しなければいけないのですね。

その通りです。僕らがつくっている商品は工業製品ではないから、命や魂を入れてやっていかないといけない。これだけは間違いないと断言できますが、酒蔵の雰囲気は味に出るんですよ、絶対。

だから、たとえ今より規模は小さくなったとしても利益さえ残って、みんなに給料を払い、「銀盤の酒はおいしいね」と話してくれる人が増えるような取り組みに注力していれば、自然と伸びてくるはずだとも信じています。

1パーセントの積み増しが新しい銀盤酒造をつくる

― 銀盤酒造が向かう未来像についてはどのようにお考えですか。規模を大きくしたい、コストを上げても品質を追いたい、海外へ打って出たいなど道はあるかと思いますが。

規模を大きくしようとはあまり思っていません。まずは、やはり品質重視でしょう。

― 最盛期は3万石を造っていた設備を持つという意味でも規模としては大きいわけですから、全国展開に力を入れていくイメージを持っていました。

いえ、まずは地元の富山県からですね。これも一貫していつも言っていることですが、地酒蔵で地場産業ですから、地元の応援がない限りは成長なんか絶対に望めません。僕の考えとしては、県外で1本売れるよりも、県内の人が県外に持って行く1本を売りたい。

「富山の黒部にある、うちの地元の酒なんだ」と自慢してくれるほうが、拡散力が絶対に大きいはずだからこそ、銀盤酒造の応援団やファンを地元から増やしていきたいですね。

― 具体的な売上計画や何カ年計画はあるのですか?

一応はつくっています。ただ、「3年で売上を倍にしましょう」なんて言いません。狙うは微増です。年間3パーセントの成長を掲げてはいますけれど、みんなには「毎年1パーセントの努力をしましょう」と伝えています。

たとえば、営業にとっての1パーセント増って、得意先に100本売っていたのを101本にすればいいだけなんです。製造原価を下げるなら1時間に99本つくっていたのを100本にする。そんなふうに例をあげて、1パーセントは意外に難しくないことだと話しています。本心は「毎日1パーセント増」してほしいくらいですけど、まずは毎年1パーセントでもいいよ、と。まずは毎日、毎月、毎年でも、わずかでも伸ばしていくという意識付けですね。

銀盤酒造の2017年のテーマ「毎日1%の改善」が掲げられている。

― 時期尚早な質問かもしれませんが、1パーセント増を重ねた先の銀盤酒造を、田中社長としてはどのように経営していくおつもりですか。

社内から人材を引き上げ、後継者を育てなくてはと思っています。それについては実際にみんなにも話をしています。つい先日が決算だったんですけれど、全員に決算説明会をしました。去年と今年の状況、5カ年計画なども「みんなが知っておかなければならないことだ」と伝えました。

リーダーになりうる社員を選び、外部の協力も得て研修も始めています。他社の事例などをもとに、彼らには「失敗事例をどんどん教えてくれ」とお願いしています。リーダーが育ってくるタイミングで、次には全社員向けのボトムアップ研修をしていこうと。

僕としては銀盤酒造の一般社員が成功事例を積んでいくのが大事だと考えています。成功事例が増えてくれば彼らも明るくなるし、成功するケースやパターンをつかむことで、次なる一手への思いも芽生えてくる。

リーダーには失敗事例を、一般社員には成功事例を。これはけっこう徹底していますね。一般社員に失敗事例を言うとモチベーションが下がるんですよ。そのわびさびは、ちょっとずつ使い分けながらですね。

「蔵元が力を持つ時代」を創りださなけばいけない

― ここまでのお話で、日本中の酒蔵が抱えているそれぞれの問題に呼応する部分もあったかと思います。一方で、田中社長の目から見て、日本酒業界を全体的に良くするにはどういったアプローチがあり得るでしょうか。

単純に「門の解放」ではないでしょうか。細かいことを言わず、もっと情報を開示していくべきだと思うんですけれどね。問題を複雑に考えすぎている人も多いですし、いまだに「酒に氷を入れるのは邪道」なんて声に出す人もいる。

それぞれがライバルではあるけれども、日本酒メーカーで現状のパイを食い荒らしてもしょうがない。「ワインに勝つには、焼酎に勝つにはどうするか」を考え、みんなで取り組まないといけません。もちろん酒税が絡むこともあって、動きが取りづらいこともわかる。それでも僕はもっともっと新しいことをやっていって、パイそのものを広げて、酒税をとったほうがいいと思うんですよ。でも、それが全然わかってもらえない。

だから、僕自身がこの業界に物申すようになるには、まだまだ手がける酒蔵の数が足りないんですよね。そのタイミングは全県で1つずつ運営して、総勢50蔵くらいのグループになったときかなと思っていますから、そこへ向かっている途中といったところです。

― ひとつの大きなグループになった時に、田中社長がまず改善したいと考えていることはありますか?

ほんとうに酒蔵の給料って安いんですよ、みんな。大変な思いをしてつくった商品なのに、利益も取れずに苦しい思いをしているのは絶対に変えたい。頑張った人が報われる事業にしていかなければと思っています。たとえば、原材料が山田錦で、精米歩合が35%だとしたら、おおよその価格が決まってしまうようなところが日本酒にはある。でも、僕はワインのような自由な価格の中でやっていかないといけないと思っているんです。それを、どこかの蔵元ひとつでやり始めても売れなくなるだけで終わってしまう。その意思をもつ蔵元が50蔵、100蔵と集まれば状況は変えられるかもしれない。

まだまだ売る側、特に地酒屋さんの力が大きいのですが、今後は蔵元が力を持つ時代で、価格の調整をできるようにしていかなければと思います。価格の競争優位性ではない部分で戦えるような体制ですね。

インタビューに答える田中社長の笑顔のアップ。

― 取材を通じて日本酒業界を見ていると、茨の道だということが伝わってきます。

でも、本当に生意気なんですけれど、そういうことをできる人間があまりいないと思う。そこに僕は正義を感じちゃったんですよね(笑)。

― 業界に一石を投じる目標がありながら、田中社長が今の仕事を通じてやりがいを感じている瞬間はどういうときですか?

人が変わっていく瞬間に立ち会っていることですかね。「みんなのあいさつが元気になった」とか「電話の応対が良くなった」とか、今日みたいに銀盤酒造の社員をインタビューしたらいろんな話をしてくれるようになったなんて聞くと、すごくうれしいですよ。それに、みんなの笑顔が増えましたよね。

― 田中社長の周りにいる人は楽しそうですよ。

楽しくなきゃね。だって、恋人といる時間よりも、寝る時間よりも、ご飯を食べる時間よりも、会社にいる時間が一番長いんですよ。ここが充実していなかったら、人生楽しくないじゃないですか。

でも、そもそも仕事なんてつまらないですよ? 何もしなくてお金をバンバンもらえたらいいと思うんですけれど、それでも人間はどこかに「働かざる者食うべからず」の心が組み込まれているんでしょうね。だから、それを充実させてあげられるか否かを担う僕の責任感はものすごく大きい。おちゃらけていろいろやっていますけれども(笑)、彼らの人生を僕が左右できてしまうという危機感は常に持っているつもりです。

― 仕事って、「人」と「人」の関わりあいですものね。

そう思いますよ。そうじゃなきゃ駄目だとも思う。

― お話を伺っていて、田中社長は「顔の見える商売」がお好きなんだろうと感じました。

そうですね。逆に、僕にはそれしかできないです。とはいえ、「売上がすごい増えました!」とか「利益が順調に伸びています!」とか言われて、うれしいことはうれしいですけれど、僕はそこに見込みをあまり感じないんですよね。短期的なものかもしれないし。

それよりも、本当に一人ひとりが変わって、自分から「こういうアイデアはどうですか?」みたいに言い出すような社員が増えてくると、やっぱりそれが一番に気持ちいいですね。

事務所で談笑する田中社長とスタッフの方々。

組織や人間がだめになっていく様を「腐る」と表現しますが、その進行具合は目に見えぬところで進んでいきます。そして、たとえ原材料は同じでも、環境によって腐敗もすれば発酵もするのが酒造り。残念ながら酒は腐敗すれば戻りませんが、組織や人間はちがう。環境を整え、あるべき道を示し、行動を促すことで着実に改善していきます。

まさに「新生」することができることを、この1年間で銀盤酒蔵が見せた成果が感じさせてくれました。その成果はきっと酒造りにも表れてくるでしょう。田中社長のもと、一丸となって酒に向かう彼らの「1パーセントの積み増し」が香り豊かに花開く日が、きっと。

(聞き手/生駒龍史、文・写真/長谷川賢人)

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