東京では、桜の開花が宣言されたにもかかわらず小雪が舞った3月末。酒造りの終わりを告げる「甑倒し(こしきだおし)」が行われるという話を聞いて、栃木県宇都宮市の宇都宮酒造へ行ってきました。

東京から新幹線でわずか1時間。宇都宮駅の周辺には名物・宇都宮餃子の店が多数並び、都会的な雰囲気が漂っています。そこからさらに車で15分ほど走った先、田んぼや畑に囲まれた場所に宇都宮酒造はあります。

栃木県宇都宮市にある宇都宮酒造

創業は明治4年(1871年)。まごころ一献」「酒は造る者の姿勢が現れる」をモットーとする宇都宮酒造は、年間を通して、約1300石を醸造しています。主要銘柄「四季桜(しきさくら)」の県内シェアは、なんと70%以上。地元に愛されている酒蔵です。

主要銘柄「四季桜(しきさくら)」

10月から始まる仕込みは、正月を除いて、この日の甑倒しまで基本的に休みはないのだそう。持ち場によっては、朝3時から夕方6時ごろまで働くこともあるのだとか。各工程の担当は、3,4年単位で異動し、すべての作業を経験します。将来的に、誰かがが欠けても、お互いにフォローしながら作業を進められるようにしたいというねらいがあります。

地元米「とちぎの里」や山田錦など、自家精米する

使用する原料米は、山田錦以外は全て地元米。特に、全量自家精米にこだわっています。仕込み水は、蔵の近くを流れる鬼怒川の伏流水を使用しています。

こだわりの角形甑。蔵の内部に潜入!

宇都宮酒造の特徴は、"角形甑"と呼ばれる正方形の甑を使用していることです。

「甑」とは、米を蒸すための設備で、円柱形のものが一般的。かつては、杉材でつくられたものが多かったようですが、今では、アルミニウムやステンレスのものが主流です。最近では、より最新の機械を使用している酒蔵が多く、昔ながらの甑を使うところは減ってきているのだそう。

角形甑

角形甑は一般的な円柱型の甑と比べて、作業がしやすいのだそう。甑の底に擬似米を入れて蒸すことで、甑肌(お米を蒸す際の甑に接している蒸米のこと)が良い状態で蒸しあがるのだとか。

甑のなかに米をはった状態

本日の「甑倒し」行事では、この甑が主役となります。行事が始まるまでの間、今井杜氏に、蔵の中を案内していただきました。

石造りの蔵で管理されている醪のタンクでは、仕込んだばかりという、生酛の醪を見ることができました。

石造りの蔵で管理されている醪タンク

宇都宮酒造では3年に1回、タンク1本のみ生酛を仕込んでいます。一升瓶にして、わずか800本。きれいな酒質を目指しているのだそう。

生酛の醪

搾りには、伝統的な佐瀬式の槽も使っています。現在多くの蔵では、ヤブタ式と呼ばれる自動圧搾機が使われていますが、佐瀬式では、槽と呼ばれる枠に袋詰めした醪を並べ、ゆっくりと圧力をかけて搾ります。

佐瀬式の槽

蔵のあちこちには、印象的な標語が掲げられていました。いつからあるのか定かではないようですが、蔵人たちへの思いやりが感じられます。

蔵内のいたるところに掲げられている標語

蔵の敷地内には石造りの蔵を改造して造ったスペースがあります。ここで見学に来た人たちに説明をしたり、日本酒イベントを開催したりしているそうです。

「甑倒し」で無事に酒造りを終えられたことに感謝

「甑倒し」とは、どのような行事なのでしょうか。一般的には、そのシーズンにおける最後の仕込みに使う米を蒸し終えることを言います。釜から甑を外し、横に倒して洗うことからこの名がついたといわれています。

近年、甑倒しを儀式的に行う蔵が少なくなっているようですが、宇都宮酒造では、昔ながらの行事を執り行っています。

仕込み作業が落ち着いた夕方、甑倒しに向けた準備が始まりました。まず、蔵人たちが作業場をきれいに洗っていきます。今日まで使ってきた場所を徹底的に掃除して、神様を迎える準備をするのです。

甑倒しの準備。米の蒸す場所を徹底的に清掃します。

清掃が終わると、神様が座る場所を甑の上にセッティング。お供え物などを用意します。

甑倒しで神様に供えるお供え物

そこへ、釜屋と呼ばれる蒸米の責任者が、神様に扮して登場します。

神様に扮した釜屋

いよいよ、甑倒しの行事が始まりました。取り仕切るのは、酒造りの総責任者である杜氏です。まず、無事に酒を造ることができたことを感謝して、杜氏が祝詞を上げます。蔵人が順番に榊を供え、杜氏がお祓いをした後、お供えした水で乾杯します。

細部にまで宿る"まごころ"

宇都宮酒造で印象的だったのは、蔵の中がとても清潔に保たれていたことです。徹底的な衛生管理、人の口に入るものを扱う場所として当然のことですが、日々仕事をするなかで、おろそかになりやすい部分でもあります。

今井杜氏は「当たり前のことだけど、みんなが忘れがちになっていることに自分が中心となって取り組むことで、副杜氏をはじめ、若い蔵人たちに徹底させている」と話していました。

よりよいお酒を造るための厳しい指導を貫きつつ、時には蔵人たちとともに悩み、時にはお互いに励まし合いながらお酒を造り上げる、今井杜氏の人柄がみえてきます。お酒への"まごころ"はもちろんのこと、いっしょに働く人への"まごごろ"こそが、四季桜の味わいを生み出しているのです。

甑倒しを終えた宇都宮酒造のみなさん

今井杜氏に、おすすめのお酒を2種類、紹介していただきました。まずは「今井昌平 純米大吟醸」。地元産の五百万石を使って醸したお酒で、ほのかな吟醸香と優しい味わいが特徴です。ぬる燗にすると、味と香りが花開き、よりいっそう美味しく楽しむことができます。「私とともに進化し続ける純米大吟醸酒です」と、話してくれました。

もうひとつは「とちぎの星 純米酒」。日本穀物検定協会の「食味ランキング」で、最高ランクの特Aに選ばれたことのある食用米を使用したお酒です。炊きたてのご飯を食べているような旨味が感じられ、冷やしても温めても楽しめます。お酒を口に含んで、米を噛むようにして飲み下すと、また違った印象の味わいになるそうです。

今井杜氏おすすめのお酒

「とちぎの星」が入っている袋は、米袋を模したデザイン。デザイナーが考案したなかから、今井杜氏の奥さんが選んだものだそう。女性らしさの表れている一品ですね。

包装はすべて手作業。ひとつずつ、"まごごろ"を込めて、結んでいきます。宇都宮酒造のモットー「まごころ一献」は、細部にまで宿っていました。

(取材・文/あらたに菜穂)

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